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平成28年度海外連携商品開発
台湾研修報告会を行いました
始めに県内4校連携による商品開発の取り組みを報告しました。
松山高級工農職業学校の生徒との交流、商品販売会の様子、台湾で働く日本人の講演など、台湾での研修内容を日を追って説明しました。
研修成果を全校で共有することができました。
台湾派遣研修5日目
台湾研修4日目
12月17日(土)、午前中は、文化研修として忠烈祠と故宮博物院を見学しました。
忠烈祠は、戦争で戦死した兵士の霊を祀っているところです。ここでは、衛兵の交代式を見ることができました。
その後、翠玉白菜と肉形石(角煮)で有名な故宮博物院を見学しました。白菜は本物の白菜にそっくりでした。
昼食後は、千と千尋の神隠しのモデルで有名な九份を観光しました。休日ということもあってか、九份は観光客ですごい人混みでした。
夕食後に、「海外で働く日本人」と題して講演会がありました。
海外で働くことで大切なこと、おもてなしの心の大切さなど、生徒にとって非常にためになるお話を聴くことができました。
台湾派遣研修3日目
チョコレート工場を見学し、チョコレートを使ったお菓子(ドーナッツ、クッキー、キャラクターチョコ)を制作しました。
午後は、松山駅の売店の一角をお借りして、販売会を行いました。
2時に販売会オープニングセレモニーを行い、開発した商品の販売を行いました。
販売したものは烏龍茶サツマイモパイと抹茶ケーキ、ドラゴンフルーツケーキ、ピポリパ、フルーティートマトせんべいです。
全ての商品が順調に売れて、ピポリパとフリーティートマトせんべいは完売しました。
台湾の生徒の積極性、コミュニケーション能力の高さを感じました。
生徒も今回の販売会でそれぞれが課題を見つけたようで良い経験になりました。
台湾派遣研修2日目
台湾派遣研修1日目
この研修は、埼玉県教育委員会の実践的職業教育グローバル事業の一環で、本校の他に、川越総合高校、鳩ケ谷高校、鴻巣女子高校の生徒が参加しています。
参加4校が協働し商品開発を行う中で、台湾の高校生との意見交換や商品販売会を行うことでグローバルな視点を養うことが目的です。
初日となる本日は、15時30分に羽田空港に集合し、18時に台北に向けて飛び立ちました。
夕食の機内食をいただき、21時(日本時間22時)に予定通り、台北・松山空港に到着しました。
ホテル到着後、ミーティングを行い、就寝となりました。
海外連携商品開発第1回事前研修会
今年度は、川越総合高校(総合学科)、鳩ヶ谷高校(情報処理科)、鴻巣女子高校(家政科学科)の4校が連携し、三州製菓株式会社と台湾の台北市立松山高級工農職業学校の協力のもと、新食料品の開発を行います。
6月28日(火)、本校を会場に第1回事前研修会が開催されました。本校からはデザイン科2年生3名が参加しました。
最初に、「商品開発と知的財産」についてと題し、弁理士の日向麻里氏にご講演をいただきました。
ペットボトルのお茶やアイスなどの実際の商品、そして、ホームセンターの事例を挙げて、特許や商標の意義や仕組みを分かりやすく解説いただきました。
次に、通訳の許熟珍氏から、台湾についてお話いただき中国語の講習を行いました。
そして、各校から商品開発の状況について発表し、今後の計画を打ち合わせしました。
平成27年度 海外連携商品開発in台湾
台湾研修報告会
台湾研修最終日
12月19日(土)、ホテルの方々の見送りを後にして、空港に向かいました。
空港では荘敬高校の生徒さんが来てくれて、大感激しました。
台湾の方々のとの交流を通じて、私達はさまざまな事を学びました。
参加者全員がこれからは、生活の中で受身ではいけないことを感じた充実した研修旅行となりました。
台湾研修4日目
台北の象徴的な建造物の中正紀念堂を見学しました。その後、飲茶レストランにおいて、小籠包作りを体験しました。
午後は、台湾市民の台所の南門市場と世界屈指のコレクションを誇る故宮博物院を見学しました。
最終日のミーティングはそれぞれの思いを発表しました、引率教員や通訳の許さんからのお話も全員真剣なまなざしで聞いていました。
帰国後すぐに報告会を行う予定のため、遅くまで3人でプレゼンテーションの準備をしました。
台湾研修3日目
台湾研修2日目(2)
台湾研修2日目
台湾研修1日目報告
台湾へ出発しました
壮行会を行いました
平成26年度 海外連携商品開発
校内報告会を行いました
台湾に行った目的、荘敬高級工業家事職業学校の学習内容、商品開発の取組を中心とした交流の様子などを紹介しました。
「物事を伝えようとする意志」「積極的な行動力」「周囲への興味・関心」など、本質的なコミュニケーション能力の必要性を学習したとのことです。
荘敬高級工業家事職業高校訪問2日目
12月18日(木)、荘敬高級工業家事職業高校に再び訪問しました。
調理科の生徒さんの出迎えから始まり、今度は荘敬高校の生徒さんが考えた料理を試作しました。
日本と台湾の混合で8チームに別れて作業しました。ゼスチャーや単語で協力し合いながら、ゼリーとロールケーキを作りました。
昼食後、それぞれの学校と作品紹介のプレゼンテーションをしました。その後、試作品についての意見交換をしました。
帰国後、これらの意見をもとに改良をしていきます。熱心に意見交換をしたので、時間があっという間に過ぎました。
3日目文化研修・市場調査を行いました
2月17日(水)、3日目は台北市内を視察しました。
世界四大博物館のひとつ、故宮博物院に研修に行きました。
今年、東京国立博物館にも門外不出の宝物として展示された翠玉白菜をはじめ、様々な秘宝を見学しました。
そのあと、市場を見学しました。日本では見ない野菜や果物を熱心に聞いたり、写真を撮る姿が見られました。
昼食後は、台湾の名産のパイナップルケーキ工場を見学し、各自ケーキを作りました。
ホテルに戻り夕食後、ANA台北支店長の島一範様より「海外で働く日本人」というテーマでご講演をいただきました。
島様より、「真摯に生き、相手を思いやる気持ちが、どこで仕事をする上でも一番大切である」ことを教えていただきました。
講演会終了後は、明日のプレゼンテーションに向けて打ち合わせをして解散しました。
荘敬高級工業家事職業学校へ訪問しました
午前中のオリエンテーションでは、新北市教育局の担当者も参加されての歓迎行事が行われました。
昼食は校内レストランでいただきましたが、調理からサービスまで在校生がしていました。
午後は、商品開発のために日本から持参したレシピをもとに荘敬高級工業家事職業高校の調理科の生徒と各校グループに別れて調理を行いました。
本校と皆野高校で提案した試作品は、台湾の高校生にも好評でした。
台湾に到着しました
夕食後、夜8時よりミーティングを行いました。参加者一人一人があらためて研修の目的を発表しました。
海外連携商品開発in台湾
本校デザイン科2年生は県立皆野高校と協力して、商品開発に取り組んています。
開発した商品について台湾の荘敬高級工業家事職業学校と意見交換を行うため、埼玉県内の専門高校生15人が台湾を訪れています。本校からもデザイン科2年生3名が参加しています。
日程は、12月15日(月)から12月19日(金)の予定です。写真は、12月2日に行われた事前研修会の様子です。
当麻曙音君 ドイツ留学報告
第八話 習うより慣れろ(後)
するとそこに広がっていたのは20数名の生徒と一人教師らしき人が前に立っていた。授業中?いや、でもそんな気配が微塵も感じれない。休み時間なのか…すると皆が好奇の眼差しでそれを見た。
「誰だあいつ?お前知ってるか?」「知らなーい。留学生かな?」「日本人、韓国人それとも中国人?」「アジアの文化に興味があるな話してみようかそれとも…」
いろんな言葉が僕の目の前で飛び交った。するとそれを遮るかのようにある男が大きい声で喋り始めた。「君が今日から来る留学生かい?私の名前はPlättner このクラス11.c担任兼数学教師だ。よろしくな!
おおい、皆に言う。今日からこのクラスに新しい仲間が加わった。彼は日本から来た17才だ。君たちは優しいということは勿論私も知っている。だから彼の面倒やクラス、学校そしてドイツに慣れるまでしっかりと支えてくれるよね。」
「そう、もちろんだ!俺たちのクラスは学校一出来てるメンバーの集まりだからな。」
「おいおい、そう言ってるお前のこの前のテストの結果はいったいどういうことなんだ笑?」
「それを言うなよ!人情は厚いだろう?」
「そうだな。確かに。」
っと、数秒間の間にこれほどのドイツ語が飛び交った。勿論僕は…
「…………おいおい、今なんて言った。今まではカリキュラム上大人としか話してきてなくてそれをなんとか理解してたけど、子供のドイツ語はまるで別の言語のように違うな。日本に来る留学生もひょっとしてこんなことを思うのかもしれない。つまりは若者言葉か…。先が思いやられるぜ。」
こんな心境だったと思う。「こんなこと習えることもない、つまりは実践で慣れていくしかないってことだな。」
身振り手振りで誘導されるようにいつそこに、なぜそこに決まったのか分からない窓側前から2列目右寄りの椅子に腰かけた。おもむろにノートとペン。あと最高の笑顔を持ち出した。まず隣の子からがスタートだ。
「僕はShoon日本から来た。よろしくな!まだドイツ語は良く喋れないし上手く理解出来るか分からない。」
「もう、それだけ話せられればまずまずいいんじゃない?」
そういったのはさっき学校一だの人情だのを言っていた威勢の良い同い年の少年だ。すると周りから色々な質問が飛び交ったまるでハリウッドスターの映画公開記念の記者会見のように。
なんとかして自己紹介と日本から持って来ていたお菓子(コアラのマーチやハイチュウ)で釣る作戦が功を奏し多くの子が僕に興味を示してくれた。
激しい戦争を戦い抜いたその体はもう家に再び着いた時には立ってるのがやっとの程疲れ果てていた。「Ich bin wieder da.」
「Hallo.wie war die Schule?」「Entschuldigung, was hast du gesagt?」
「Wie war die Schule? 学校はどうだった?」
「Sehr gut. Mir hat Deutschland gefallen.(すごく良かった。ドイツ気に入ったよ。)」そんなやり取りをホストファミリーである二人のママとした。
その後あの不朽の名作?「ゴジラ」をドイツ語で鑑賞した後三人分の夕食を手伝いながら、会話も途絶えながらもなんとかして、「日に日に上達してるよこれからも頑張っていこう!」と褒められ幸せを感じた一日となった。9時完全消灯のこの家のルールはまるで小学生時代を彷彿とさせる年の割の早寝でその一日のエンディングを迎える。さらに疲れ果てた体もそれに即答するかのごとく眠りを欲しがった。
「何とか今日を乗り越えた。大事な一日だった。その結果は悪くはないものだと思う。でも、明日はまた来る。大丈夫か。この身体は最後まで持ちこたえられるのか?まだ、ホストとホスト同士の会話は点で理解できていない。まだまだやれるべきことは沢山あるな。なんかこれからが楽しみに思えてきたな。」と自問自答や自分への評価を下し、僕は目の上をゆっくり薄い膜で覆った。しかし、この時はまだ誰も明日僕の身に降りかかってくる現実を知る由もなかった。
いよいよ本格的にThe 留学がスタートした。初日は楽しく乗り切ったが、二日目に待っていたのは幻ではなく現実だった。果たしてどうなる?!
第七話 習うより慣れよ(前)
ところで僕がこれから通うことになる学校「Friedrich Gymnasium-Luckenwalde」とはBrandenburgにある、ある地域の人口2万人程度の町にあるGymnasiumという学校である。ドイツでは通常日本で言う小学4年生までのGrundschuleを卒業後、小五年生以降(~約高校3年)の中等教育を行うために3つの種類の内1つの学校に通う。それはHauptschule,Realschule und Gymnasium でなぜか一番レベルの高いはずのGymnasiumに行くことになっていたことに対する動揺はいささか大きかったことも否めない。少し脱線すると、この中等教育を卒業した証である「Abitur」を取得後大学に行くのが一般的である。
校門の写真
何とか出来そこないの脳内ナビで学校へと約十分の時間で到着することに成功する。物事の始まりに於いての成功ほど重要なファクターは無いと思っている僕にとっては幸先の良いスタートとなった。しかし学校に着いたは良いが、日本のような校門もなければ無論、校門指導をする先生などいるわけがないドイツでは「次」の行動に迷うものである。まずどこに行けばいい。そうだ、工業祭へ行こう。 ではなく、そうだ、校長室に行けば何か分かるかもしれない思った当時の僕は何の躊躇いもなく馬鹿でかい木製のドアを開け、まるで美術館のような大きい箱へと入っていった。そして、入って間もなくとても大きな衝撃が僕を襲う。
目の前に壁が(約2メートルもの人)君臨していたのである。咄嗟に出たすみませんの一言に反応したのは運がいいのか意外にもその学校の校長先生だったのである。
「ひょっとして君は今日から来てる留学生かい?」今でこそ余裕で訳せるが当時の僕では「……君…今日…留学生?」くらいしか理解できない。「あーなんか言ってる、でも全然分からん。どうしよう…」それでも必死に口の筋肉を動かした「Ja」の一言はその後の運命に関わるとても大きな一言であったに違いない。
言われるがままに後をついて、たどり着いた教頭のいる部屋で時間割、クラス、選択科目等を決めることになった。
その時の会話が
校長「ようこそ、ドイツへそして私たちの学校へ!」
僕「おー嬉しい!有難う御座います。」
校長「じゃあ、あとは教頭宜しく!」
教頭、僕「…!?」
教頭、僕「……………」長い沈黙の後
教頭のじゃあ改めて決めていきますよの一言から再開した。
教頭「まず、きみは…来たの?あと、……?」
僕「すみませんが、もう少しゆっくりでお願いします」
教頭「あら、いやだごめんなさい。私全然気を遣えなくて。まず、きみは何処から来たの?あと、何歳?」
僕「日本から来ましたそして17才です」
教頭「日本から?去年も日本から来ていた女の子がいたわその子はもう日本についこの前帰っちゃったのよ。」
僕「へぇーそうなんですか。驚きました。」
実をいうと、この時は知らなかったが後日同じ日本の留学機関でドイツに行ったことが判明し、なんと同じ埼玉県から来たことも分かり、さらに、僕の知り合いだったことにはとても驚いた。おかげで世界は広いのか狭いのか余計分からなくなった。
教頭「17才だったかしらなら、11.Klasse(高2)ね」
僕「ん?!」
ここであることを思い出した。Heppenheimでの研修中にコーディネーターにあることを言われたことを思いだした。「ドイツのGymnasiumの11.Klasseからは日本のようなクラスメート常に一緒に行動することがなくなり選択科目が増えるのよ。だからドイツの暮らしに慣れるまではいくら高校2年生でも10.Klasse(高1)のクラスに入った方がいいわ。」
僕「あの…」
教頭「じゃあ11.Klasseなら必修科目は数学、ドイツ語、英語に…」
僕「あの…すみません」
教頭「どうしたの?」
僕「11.Klasseではなく、10.Klasseの方がいいです。」
この時本当はそのコーディネーターとの会話を説明出来れば難なく変更できただろうが何度も言うがその当時のドイツ語力では伝えることが出来ない。必死に辞書も使い説明を試みたが失敗に終わる。
教頭「なんか言いたいんだろうけど11.Klasseね。」
僕「んー勉強しよう。」
結局のところこれが良いきっかけになったのかもしれない。
教頭「選択科目は何がいい?」
僕「何があるんですか?」
そうすると机にあったメモ用紙に教科名を書いてくれた。聞いてもその単語が分からない場合このやり方が非常にありがたい。何故なら辞書で調べられるからだ。
僕「しかしよく見るとこれ分かる教科もあるな!Musik これは音楽 Informatik 情報だ!辞書なしで分かりそうだな…Chemie 化学 Biologie 生物 Physik 物理 Sport 体育 Wirtschaft? französisch? いや分からないのもあるな…んー経済、フランス語か。」
これだけ辞書を引いてたらいつかその単語は何ページにあるのか覚えられそうだなと心の中で言いながら、何とか時間割を決めた。詳しい時間割は「第一話 旅立ち」をご参照あれ
教頭「月曜日から水曜日…8時間、木曜日と金曜日は6時間で木曜日の3~4時間目は授業なしだから校内探検や家に帰って寝てても宿題しても自由よ!」
僕「え!そんなこともいいんですか?」
教頭「これはごく一般的よ。日本は出来ないの?」
僕「基本的にはそういうことが出来るのは大学からですね。できる高校もありますけど、少ないです。」
教頭「あら、それは残念ね。日本は平均的に大学まで勉強し、大学からより専門、自身のやりたいことを学べるのね?ドイツではそれは10.Klasse(高1)まで11.Klasseからは自信のやりたいことを学べるから少し日本よりもその道に長けていることになるわね。でもそのちょっとの差が将来の可能性を大きく変えるものなのよ。」
正直半分も理解できてなかったな…でもなんか大事なことを言っていたんだろう…と心の中で呟き、僕「分かりましたこれからが楽しみです。それに日本の僕の通っている学校には音楽が選択科目になく、ずっとやりたいと思っていたのですがやっと高校でドイツで出来るのは嬉しいです。」
教頭「え?音楽ないの?残念だわ。それではここで大きく飛躍することを願っていますよ」
僕「Danke schön!」
教頭「それでは教室へとご案内します多分今は数学をやっているはずよ。あなたも最初から分かりそうな教科で幸いね!」
僕「数学ですか。分かりました。行きましょう。」
歩きながら何とか理解できたドイツ語の量と緊張は確かにしたが片言会話ができた事に密かに喜んでいた僕は高いモチベーションで教室へと移動する。数秒後当時の周りのありとあらゆるものが新しく見える僕からすると一瞬で着いた教室前のドア。ここだけかもしれないが、廊下から教室を見ることが出来るようなものつまりは窓はなく壁に覆われている。よって中の様子が全然分からない!!!
教頭「ここまで一緒に来たけれどここで君とはお別れよ。さあ、そのドアが君の未来を占う第一歩よ!自ら開け進み続けなさい!」まるで国民的RPGのワンシーンかのようなセリフを言った教頭先生に感謝を言い、僕はそのドアを開けた。その遥か無限大の可能性を信じて…
第六話 嚆矢濫觴
Hallo zusammen,
3年生の皆さん、ご卒業おめでとう御座います。遂にみんな行ってしまった..
ホストファミリーの下に来てから2日目である日曜日。この日は町全体を僕のホストファミリーと兎に角歩き回った。
翌日から通うことになる学校、その向かいにある動物園、この町の住民の生活を支えるスーパーマーケット、もう何もかもが僕には新しかった。
ふと、町を歩いていて僕が気付いたことがある。それは、無限に広がる青色に沢山の飛行機雲が散りばめられているということだ。そうここはヨーロッパ。ましてはフランクフルト国際空港を持っているドイツでは常時、モノが動き続ける。
またドイツでは日曜は殆どのお店が閉まる法律が存在するため、あらゆるお店が閉店ガラガラ。なのでたいていは土曜の午前中に食材調達を行う。
もう二日もホストと一緒に住んでいると生活パターンは読めてくる。
どうやらこの二人のお母さんの生活は実に興味深い。
ちゃんと男と女が存在しお互いの生活を支え合っている。心なしか「僕が今ここに居て良いのかな…」と思わざるを得ないシーンが多い。「いや、今までに経験したことのないことだからだ」と僕は勝手に解釈しその場をしのぐことに成功する。僕にはまだ色々な経験値が不足している。新たな自分に出会うためには自ら旅に出るのが最善だと思う。なんてことを呟きつつ、その日の予定であった散歩、スーツケース(2ケース)に積んであった衣服や日本からのお土産を取り出し、箪笥にしまったり、ホストにあげたりした。どんなプレゼントをしたかというと「浴衣」である。当時のドイツ語力では表現することがとても難しくなかなか伝わらないが、なんとか1時間程の時間をかけて教えることに成功した。また、ホストが日本文化に興味があったこともそれを成功させる重要なファクターであっただろう。
すっかり骨だけを残したようなすべての力を出し切った身体はシャワーを浴びた数分後には口を小さく開けた棒になった。
次回は、遂に学校初日。しかし、初日から多くの壁に直面する。どのようにして一筋縄ではいかない障壁をどう越えていったのだろうか。
第五話 新たな始まり
遂にHeppenheim から日本ではあり得ないであろう新幹線による確か3回ほどのスイッチバックを経てBerlin Hauptbahnhof (tief)から 乗り換えて当初の予定から1時間遅延で到着。
Luckenwaldeは人口約2万人、面積46.61km²のBrandenburg州内のある市です。駅前にある大きな図書館が特徴です。
ホストファミリーの家に着き、ホストが僕がこれから11ヶ月間利用することになる専用の部屋まで案内してくれた。まだ僕はドイツ語を流暢に話すこと、理解することができなっかたため、僕を理解させるまでの道のりは極めて険しかったであろう。そわそわしたままそのまま夕食を食べ、なんとか使用方法を理解できた僕はシャワーをして、翌日の土曜日にスーツケース2つに入っているその膨大な量の荷物を出していくことにし、今日にさよならをした。
翌日、緊張からなのか朝六時という休日にしては早い目覚めだった。
二度寝防止のため、僕の体の目覚ましがてら家の隅から隅を見てみようと散策を始めた。
後から思うともしホストが起きていたらこれだけ不審な行動をとられると怖かったであろう。
僕は決して何も取ってはいないがまだ出会って2日目。お互いを信頼しろという方がやっぱり難しい。そんなことおかまいなしな当時の僕はまずここの部屋に何があるんだろうと360°くるりと回った。あったのは本棚、タンス小さい机と椅子そして妙な漢字がプリントされているすけすけなカーテン。壁はコンクリートにペンキが塗ってあるだけで気温が上がらないとやや部屋は冷たい。そうこうしているうちにホストも起き、朝ご飯や掃除など、自分が伝えたいこともうまく出来た。月曜日から僕の学校生活が始まる。それまでホストとどうやってコミュニケーションを取るかを一生懸命考えることそしてその行動に徹しました。
次回は遂に始まった留学。学校生活が始まりいよいよ本格化していく中いろいろな問題に直面! 僕はどうやってその問題を解決していくのか。
第四話 研修(後)
Guten Tag zusammen Frohe Weihnachten! Ich wünsche eine besinnliche Weihnachtszeit!
さて、舞台はこのクリスマスからまだほど遠かった頃の7月の夏。この頃から僕が見る夢はドイツ語に変わっていった。ドイツに到着した直後から存在した超弩級な不安感はいつしか消えていた。朝7時半になんとなく起き、朝食を食べにこの研修で行動を共にするブラジルから来ている同じ17才のガブリエルと一緒にたわいもない会話をしながら階段を降りるのは日課だ。 「Morgen」(おはよう)と大きな声がこだまする。「Na,Shoon. Hast du gut geschlafen?」(よく寝れた?)ポルトガル訛りを感じさせない綺麗なドイツ語だ。 「Ja. Ich hatte heute Nacht einen seltsamen Traum also, Meine Freunde von Japan sprachen Deutsch im Traum.」(ああよく寝れたよ。今朝は日本の友達がドイツ語で話してた奇妙な夢を見たよ。) まだまだ日本語訛りだな、合ってるのかなと心の中で呟きながらまだその波に慣れてない口が必死に音を発する。
そうこうしてるうちにあることを思い出した。そう、実力テストだ。何を学んだっけ、そうぶつぶつ呟きながらノートと冊子を見てやったことを思い出していた。今では朝食は食事よりも、自分の口をドイツ語が発しやすい形にするための練習のようなものになっている。そして9時から午前授業が始まった。7日目の今日はクイズ形式でその人が今持っているドイツ語の語彙力がどれだけあるのかテストをした。出題者はドイツの受入団体のロシア、ウズベキスタンから来ている美女な女子大生2人。後者は日本にも留学した経験があり、日本語特に、関西弁が得意である。彼女がたまに喋る日本語を聞くと少し面白い。このクイズは出題者から名前が書かれた小さなメモ用紙を渡され、渡された人(1人)がその書かれた人を演じて他の留学生にその名前を当ててもらう当時にとってはやや難しいゲームである。解答者は質問権があり、それをした後に予想した名前を答えてもらうのだ。いきなり僕から始まった。「Shoon, das ist deine Aufgabe.Du musst einfach die Person darstellen.」(ショーン、これが君の課題よ。簡単に特徴を演じた方が分かりやすいわよ。)
「Alles klar!」(オッケー) そう言ってめくったそこに書かれていた名前はなんとジャッキーチェン。「Was? Jac...」(何?じゃっ...)ぎりぎり周りには聞こえなかったが危うく声が聞こえそうだった。
なんとか演じ見事に正解された時にはほっと、胸をなでおろしていた。それからは楽しく有意義な時間が流れた。そして時はてっぺんに。「Es kommt Mittagessen!」(昼食よ!)その日の昼食はWurst(ソーセージ)やBrot(パン)、Gemüse(野菜)usw.(などなど)。ドイツ料理は本当に旨い。楽しいひとときも過ぎ、午後の授業が始まった。
午後は待ちに待ったテストよ!みんな楽しみにしててね!と気楽に先生から発せられた。
「誰も待ってなんかいないぜ先生。」もちろんそんな嘆きは当の本人には聞こえない。
そんなことをずっと言って逃避している暇はない。早速早めに食事を切り上げて朝やったことの再確認をし、テストに備える。
そしてテストが始まった。人称変化や翻訳、質問を答える問題に大きく分かれている。それはドイツの特徴であったんだろう今ではそう思える。記号で答える問題はなく、全部記述式だ。
そのテストを僕とても難しいものと予想していたが、意外と日々努力していたら答えられる問題ばかりで、こんなんでいいのかとまで思ってしまっていた。テストは無事終わりみんな答えが気になるのか他の留学生たちに「どうだったー?」という会話をしているのが分かった。
その後はみんな大好きな息抜きの時間である。湖に行った。帰り道、ふとしたところにピザ屋を見つけ直径28cmあるサラミピザ飲み物付を僕は5€で買った。また宿泊施設は山の頂上にあるため車が望ましいがその日は徒歩であった。まあいい。食べ物がある。そう言い聞かせ悲鳴をあげている足に鞭をいれながら約2km程の道を登って行った。
何も変わらず平凡な毎日が過ぎる。翌朝。
もう7時半にセットされた目覚ましは見慣れたもの。日本時間では今は何時だろう?という計算ももう必要なく答えが出る。それもそのはず、もうドイツに来て1週間が経っていたのだ。
その日はとても珍しい一日となった。嵐が来たのだった。それにより室内で過ごす唯一の日となったのだ。テスト返し。嵐なんか関係ないとまで言いそうなその存在感。7人中2位だった。ドイツ語を習って来ていた奴等を抜かせたという喜ばしい気持ちとあと一人、という悔しい気持ちとが入り乱れる結果になった。またまだまだだなと思わせる自分の解答の仕方にイラついたりと、とても忙しい。その後は人狼というゲームをしたり、それぞれの国の文化を紹介し合ったりして時間をつぶした。それがきっかけでそれぞれの国を紹介するプレゼンをすることが決まり、一緒に日本から来た女の子2人と相談を始めた。
決まったことは、日本の着物を着てプレゼンをすること。日本の学校について、日本という国について紹介してドイツとの違いはどういうところにあるのかという意見を3人が別々に言い、最後になぜか僕の弓道の射法八節を披露しTeam日本のプレゼンとすることになった。
その着物が後であんなことになるとは、その時は誰もそのことを知るよしなどなかった。日本語話せる大学生という秘密兵器に少し助けをもらい他のブラジル、タイ、メキシコ組よりも先に準備が終わった。
翌日。地図を使い目的地まで案内する授業をした。それが僕にまだドイツ語力が十分に備わってないということを標してくれたとても大切な授業であった。まだ文脈をはっきりと理解しきれていなかったのだ。「壁にぶつかれたぜ。」嬉しかった。もちろん負けず嫌いな性格な人には打ってつけの起爆剤となりその後のそれらに対する思いや姿勢が変わったことのきっかけになった。もしこれがなかったらと思うと、その後一人でやりくりできていたかどうなっていたかは分からない。 結局その日のうちにその問題は解決でき、安堵の表情が隠せない。
午後にはドイツ版すごろくやランニングをし(前者は2位、後者は1位だった)一日が終わった。
Morgen. 気付けばもう7月31日。この日は8月3日から(1人は前日に)それぞれのホームステイ先に移動するための《出発》を見た。そもそもブラジルから来たその子と二人だけでICEに乗せようとしている団体にも驚いたが、5時間も新幹線に乗るんだ!というオドロキもそれに負けず劣らずあった。
そしてあっという間に8月に入り、F1ドライバーであるSebastian Vettelの故郷、Heppenheim全体を使った町ゲームをし、いよいよ出発なんだなと感じさせるような内容へと変わっていた。
2日。いよいよプレゼン。
浴衣を着たんだよね。そうそれもなぜか、、、女物の。そしてそれがとあるSNSにアップロードされていてその写真を見た日本にいる仲間が混乱していたことなど知らなかった。今でも恥ずかしいよ。と心の中で叫ぶ。そんなかとはさておき、プレゼン自体は大成功。ほかの国のも面白くてついつい大笑をしてしまったな。
人は楽しいと時間を忘れる。ダンスしたり、歌を歌ったり、たわいもない会話が一番幸せ。こんな日がずっと続けばいいのに。そう思ってた。でも、人生はそんなことばかりじゃない、その分辛いこと、悲しいことがある。
そう、『仲間の旅立ちである』 でもそれを繋げて残せることも今ではできる。写真を撮り再会を誓いながらお別れ会をする。Auf Wiedersehen! Ich tue mein Bestes.
長いようで短かった研修in Heppenheimも終わり、遂に次回は新たな始まり、それぞれの場所に行き新たな生活基盤がスタートした小さいしかし重要な一歩をテーマに書く予定です。宜しくお願いします。
第三話 研修(中) 続
研修も4日目ともなると英語でのコミュニケーションよりドイツ語の方が楽になってくる。僕が授業やご飯の時に発言するとみんなが笑ってくれる。ドイツ語が合っていても間違っていても、もうどうでもいい。嬉しい。でも、こんなんで本当にいいのかな?と思うようになっていました。
この日は日本で全くドイツ語を学ばずにしては、これでもか、と自分自身が驚くほどよくできた日だったと思っています。しかし少し上達はしてもまだまだ。ついていくのがやっと、という感じでした。なので「少しでも多く勉強を。」とこっそり勉強していました。
さてこの日に習ったことは「時計の読み方とそれのリスニング」です。ドイツでは少し変わった読み方をする場合があるのです。
Es ist 7 Uhr. 7時です。
Es ist 8 Uhr. 8時です。それでは7時半はというと
Es ist halb 8. か Es ist 7:30 Uhr.しかも読み方は7 Uhr 30 的に読みます...例えば、列車は18時24分に出る。と言いたい場合、Der Zug fährt um 18:24 Uhr.(achtzehn Uhr vierundzwanzig)と4(vier)を20(zwanzig)の前に言うという、なんとも日本人とっては考え方の難しい言い方をします。
5日目
Ich bin nach Frankreich zum ersten Mai in meinem Leben gefahren. 生まれて初めてFranceに遊びに行きました。そこはStraßburgで、フランスで初となるマクドナルドとフレンチ料理を堪能しました。Bon appetit!(どうぞ召し上がれ)という意味のあるこの文。どうもドイツ語の Guten Appetit! に似ていて面白いなと思った。フランス語でオーダーした時はとても緊張したなー...今回はここまで。次回は研修(後)をお送り致します。長々としたものになってしまいましたが最後まで読んで下さり、ありがとうございました。その川を越えるとそこはもうFrance。パスポートは要らない。
あれはTGVだ...
第三話 研修(中)
Hier bei uns ist jetzt erst einmal der Winter eingebrochen.
Ich wünsche Ihnen ein gesegnetes Weihnachtsfest und gesundes und glückliches neues Jahr!
2014年12月22日は朔旦冬至でしたね。朔旦冬至の「朔」は「新月」、「旦」は「日の出」を意味します。
さて、研修では以下のようにドイツ語を学んでいました。
初日
自己紹介による、簡単なドイツ語を話しながら、文法を学ぶ。
(例)
Er/Sie/Es ist... (彼/彼女/形式主語や‟それ”などを表す)彼/彼女は...です。
Wir sind... 私達は...です。
Ihr seid...あなたたちは...です。
Sie sind...(Duの敬称)あなたは...です。
実際はまだ別の意味を持ちますが、今回はまだ研修中でのことなので省かせていただきます。
2日目
疑問文を使って実際に他の研修生や先生、町に行きお店で質問し、お題に書かれたものを買ってくる等を行いました。いきなりレベルが上がったような気がしました。
Wie spät ist es jetzt? 今何時ですか?
Was kostet das? これはいくらですか?
Gibt es hier...? ここに...はありますか?
3日目
~が欲しい。という文を覚え、Heidelberg という都市に行ってきました。
例えば Ich möchte etwas essen. 何か食べたい。
Ich hätte gern eine Apfelschorle. Apfelschorle(リンゴの飲み物)が欲しい。
ハイデルベルクは、ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する都市。城跡や、ドイツで最も古い大学がある。人口140,000人強。因みに、ドイツでは人口10万人以上の都市は大都市となる。もし、これを日本に当てはめたらどれだけの市が大都市になるのやら...
っとページもなくなってきたので続きを書きます。
第二話 到着
皆様こんにちは。お久しぶりです。無事に中間テストと第63回工業祭「作ってどっこい工業祭」が終了いたしました。2日間で3,526名の方々にご来場いただきました。誠に有難うございました。
ヨーロッパでは、二番目または三番目に大きい空港で世界における国際線の主要なハブ空港のひとつであるフランクフルト国際空港に2013年7月21日の午後にLufthansaで到着した。ドイツに僕が降り立ち、開口一番発した言葉は、、、
「暑い。」
この一言だった。しかし幸いなことにドイツは日本のような《蒸し暑い》ではない。湿度が高くない単に暑いだけの気候である。それと同時に「僕はとんでもない所に降り立ってしまったな。」とも思った。
Herzlich Willkommen!
その後、無事に荷物と度胸と共に現地受入れ団体と他の国から来た留学生と顔を合わせた。車に揺られること1時間。着いた場所は丘の上にある古いお城じみた宿泊施設だった。そこでどうやら研修を行うらしい。僕は荷物を車から降ろし、出迎えてくれた人に挨拶をする。 “Guten Tag!” その時緊張していた僕からこの言葉が発せられたことはほぼ奇跡と言っても過言ではないだろう。
そして荷物をブラジルから来た留学生ガブリエルと自分が使う部屋5階へ運ぶ。螺旋階段が立ちはだかる。もう、言葉は出ない。「・・・・・。」
その後6時にドイツで初めてとなる夕食をその研修仲間と共にし最初で最後となる英語での夕食時間となった。そして足早にみなご飯を食べ終わり部屋へと帰って行った。
僕は日記を綴った。お風呂、歯磨き等を済まし一度絶望の淵に立った後、眠りに入ったのもそう時間は掛からなかった。
明けて翌日。
Starkenburg
7月22日、その日から研修スタート。前日までの疲れはなく、体調も良い。
ここStarkenburgは研修をする施設の名前。
6:30 | 起床 |
8:10 | 朝食 |
9:00~12:00(10分㊡) | 午前授業 |
12:00~13:00 | 昼食 |
13:00~14:30 | 午後授業 |
14:30~18:00 | 自由時間 |
18:00~19:00 | 夕食 |
19:00~ | 自由時間 |
22:30 | 就寝 |
14時30分からの時間は出かけたり、人話したり、
町に行って買い物をするなど、日替わりで決まる。
初日に気が滅入った事もあり、この日から「どうにかしてやる」という熱意が
僕の心の中で静かに激しく溢れていた。
まず1つの冊子をもらった。この冊子でドイツ語の勉強をする。
先生の自己紹介からそれは始まった。今回一緒に勉強する仲間は7人です。
こんなことを言っていたような気がする。
僕はこの留学プログラムの中で第一グループに入っていた。日本から3人、
タイから1人、メキシコから2人そしてブラジルから1人。みな高校生だ。
一人ずつ軽く自己紹介をした。幸運にも緊張はしたが
それほど困らずに成し遂げることが出来た。日本での準備が功を奏した結果だろう。
しかしその時から日本勢は少しずつ劣勢に立たされていったのであった。
今回はここまでです。
遂に始まった研修。そのまま順調に行くかと思ったがしかしそこには多くの壁が立ちはだかっていた。
次回は「研修(中)」をテーマにそこで習ったドイツ語もまじえてお送りする予定です。ぜひ、第三話もご覧ください。
第一話 旅立ち
2013年7月21日から2014年7月1日までの約1年間ドイツのブランデンブルク州に留学していました。出発時、僕は機械科の二学年に在籍していました。また、この留学には「埼玉発世界行き」奨学金支給制度を利用させて頂きました。
なぜ僕がドイツを選んだかというと、僕の将来の夢はレーシングドライバーで、
学校紹介
僕が通っていた学校名は「Friedrich-Gymnasium」です。

| 月 | 火 | 水 | 木 | 金 |
1 | 数学 | 音楽 | ドイツ語 | フランス語 | 数学 |
2 | 数学 | 音楽 | ドイツ語 | 体育 | 数学 |
3 | 地理 | 体育 | 英語 |
| 歴史 |
4 | 地理 | 体育 | 英語 |
| 歴史 |
5 | 化学 | ドイツ語 | 物理 | 情報 | 物理 |
6 | 化学 | ドイツ語 | 物理 | 情報 | 物理 |
7 | フランス語 | 英語 | 化学 |
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8 | フランス語 | 英語 | 化学 |
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