平成30年度 国際交流

平成30年度 国際交流

カナダから工業高校の先生が来訪されました

6月6日(水) カナダから、工業高校の先生が御夫婦で来訪されました。先生方は、本校の施設設備に興味津々の様子。一つ一つの機械や生徒たちの学ぶ姿勢に驚かれていました。見ていただく私たちも心地よい緊張感の中、授業を進めることができました。トッド先生、カレン先生御来訪いただきありがとうございました。
  
  
平成28年度 海外連携商品開発

平成28年度海外連携商品開発

台湾研修報告会を行いました

12月20日(火)、全校生徒に向けて台湾研修報告会を行いました。
始めに県内4校連携による商品開発の取り組みを報告しました。
松山高級工農職業学校の生徒との交流、商品販売会の様子、台湾で働く日本人の講演など、台湾での研修内容を日を追って説明しました。
研修成果を全校で共有することができました。
   

台湾派遣研修5日目

12月18日(日)、台湾派遣研修も最終日となりました。

午前中、中正記念堂に行きました。ここでいう中正記念堂は蒋介石を記念する建物です。
蒋介石と台湾の歴史に関する資料がたくさんありました。
また、この建物の最上階にはとても大きな蒋介石の銅像があり、この国における蒋介石の功績を実感しました。

昼食は牛肉麺でした。大変ボリュームがあり、昼食における日本人との感覚の違いを感じました。

台北松山空港では、松山高級工農職業学校の皆さん見送りに来てくれました。
台湾人のやさしさ、おおらかさを改めて感じました。生徒たちは、最後の別れを惜しみながら、お別れをしました。

予定通り、20時に羽田空港到着し、簡素な解団式を行い解散しました。
短い期間でしたが、交流や異文化体験をとおして、参加した生徒の成長が実感できる貴重な研修となりました。
  
  

台湾研修4日目

12月17日(土)、午前中は、文化研修として忠烈祠と故宮博物院を見学しました。
忠烈祠は、戦争で戦死した兵士の霊を祀っているところです。ここでは、衛兵の交代式を見ることができました。
その後、翠玉白菜と肉形石(角煮)で有名な故宮博物院を見学しました。白菜は本物の白菜にそっくりでした。
昼食後は、千と千尋の神隠しのモデルで有名な九份を観光しました。休日ということもあってか、九份は観光客ですごい人混みでした。

夕食後に、「海外で働く日本人」と題して講演会がありました。
海外で働くことで大切なこと、おもてなしの心の大切さなど、生徒にとって非常にためになるお話を聴くことができました。
   

  

台湾派遣研修3日目

12月16日(金)、チョコレート工場見学と開発商品の販売会がありました。
チョコレート工場を見学し、チョコレートを使ったお菓子(ドーナッツ、クッキー、キャラクターチョコ)を制作しました。
午後は、松山駅の売店の一角をお借りして、販売会を行いました。
2時に販売会オープニングセレモニーを行い、開発した商品の販売を行いました。
販売したものは烏龍茶サツマイモパイと抹茶ケーキ、ドラゴンフルーツケーキ、ピポリパ、フルーティートマトせんべいです。
全ての商品が順調に売れて、ピポリパとフリーティートマトせんべいは完売しました。
台湾の生徒の積極性、コミュニケーション能力の高さを感じました。
生徒も今回の販売会でそれぞれが課題を見つけたようで良い経験になりました。
   

台湾派遣研修2日目

12月15日(木)、台湾派遣研修2日目は、松山高級工農職業学を訪問しました。

お互いに自己紹介を行い、各校で商品開発の取り組みについてプレゼンテーションを行いました。
昼食は、台湾の生徒と交流を深めながらとり、その後、校内を見学させてもらいました。

午後は、調理実習・試食・評価会を行いました。調理実習では台湾の松山高級工農職業学校が考案した烏龍茶サツマイモパイと鴻ノ巣女子高校が考案したドライフルーツヌガーを作りました。
台湾の生徒と協力して楽しく作っていました。完成したときは達成感に満ち溢れ、お互いに打ち解けていました。
  
 

台湾派遣研修1日目

12月14日(水)、デザイン科2年生の3名が台湾派遣研修に出発しました。
この研修は、埼玉県教育委員会の実践的職業教育グローバル事業の一環で、本校の他に、川越総合高校、鳩ケ谷高校、鴻巣女子高校の生徒が参加しています。
参加4校が協働し商品開発を行う中で、台湾の高校生との意見交換や商品販売会を行うことでグローバルな視点を養うことが目的です。
初日となる本日は、15時30分に羽田空港に集合し、18時に台北に向けて飛び立ちました。
夕食の機内食をいただき、21時(日本時間22時)に予定通り、台北・松山空港に到着しました。
ホテル到着後、ミーティングを行い、就寝となりました。
  

海外連携商品開発第1回事前研修会

平成28年度も、県教育委員会の指定を受け実践的職業教育グローバル事業・海外連携商品開発にデザイン科2年生の有志が取り組むこととなりました。
今年度は、川越総合高校(総合学科)、鳩ヶ谷高校(情報処理科)、鴻巣女子高校(家政科学科)の4校が連携し、三州製菓株式会社と台湾の台北市立松山高級工農職業学校の協力のもと、新食料品の開発を行います。
6月28日(火)、本校を会場に第1回事前研修会が開催されました。本校からはデザイン科2年生3名が参加しました。
最初に、「商品開発と知的財産」についてと題し、弁理士の日向麻里氏にご講演をいただきました。
ペットボトルのお茶やアイスなどの実際の商品、そして、ホームセンターの事例を挙げて、特許や商標の意義や仕組みを分かりやすく解説いただきました。
次に、通訳の許熟珍氏から、台湾についてお話いただき中国語の講習を行いました。
そして、各校から商品開発の状況について発表し、今後の計画を打ち合わせしました。
   
平成27年度海外連携商品開発

平成27年度 海外連携商品開発in台湾

台湾研修報告会

12月21日(月)、全校集会で台湾研修報告会を行いました。
訪問日程に沿って荘敬高級工業家事職業学校の訪問、商品販売会の状況などを紹介しました。
「台湾の人々の優しさに接し台湾と日本の深い繋がりを実感した。」、「話す言語が違っても笑顔は共通」と感想を述べていました。
  
  
 

台湾研修最終日

12月19日(土)、ホテルの方々の見送りを後にして、空港に向かいました。

空港では荘敬高校の生徒さんが来てくれて、大感激しました。

台湾の方々のとの交流を通じて、私達はさまざまな事を学びました。
参加者全員がこれからは、生活の中で受身ではいけないことを感じた充実した研修旅行となりました。

台湾研修4日目

12月18日(金)、台湾研修4日目の日程は、文化研修です。
台北の象徴的な建造物の中正紀念堂を見学しました。その後、飲茶レストランにおいて、小籠包作りを体験しました。
午後は、台湾市民の台所の南門市場と世界屈指のコレクションを誇る故宮博物院を見学しました。
最終日のミーティングはそれぞれの思いを発表しました、引率教員や通訳の許さんからのお話も全員真剣なまなざしで聞いていました。
帰国後すぐに報告会を行う予定のため、遅くまで3人でプレゼンテーションの準備をしました。
 

台湾研修3日目

12月17日(木)、開発商品の販売会を行いました。
会場は、荘敬高校から徒歩10分程の場所にある伊薇特冰淇淋夢工場です。
伊薇特水淇淋夢工場は、台湾でも数々の賞を受賞しており、お土産のベスト5にはいるようなお菓子を製造しています。
社長の黄様に歓迎いただき、「身だしなみやマナーを大切にしながらも笑顔を忘れないこと」という販売の基本を教えていただきました。
   
販売は、お昼と夕方の2回行いました。
お昼の販売会は、販売場所33箇所設けて実施しました。
初めは全くく声が出ませんでしたがどんどん人が集まってくると、いつの間にか大きな声で呼び込みができるようになっていました。
地元のテレビ局や新聞からも取材を受け大いに盛り上がりました。
台湾の方々に温かく迎えられ、販売品を見てくれる態度には、私達日本人は見習うべきところだと感じました。
販売開始から2時間で日本から持ってきた600個のうち400個程度を販売できました。
  
 

休憩時間に、工場を見学し、アイスクリーム作りを体験しました。お店自慢の味のアイスクリームをみんなで作って食べました。
夕方から販売会は、商品が残りがわずかなので、夢工場の店前のみで販売することになりました。
荘敬高校と協力して、頑張って呼び込みをしました。本校生徒は作成したデザインについて街頭アンケートも行いました。
帰国後、その結果をデザインに活かしたいと思います。

 
 
全員で協力して販売したので、最後の商品が売れた時はとても盛り上がりました。

片付けをして、記念撮影をしていつまでも名残り惜しいようでした。4校の生徒たちは本当に充実した貴重な交流ができました。


台湾研修2日目(2)

12月16日(水)午後は、商品開発のための調理・試食・評価会を行いました。荘敬高校と4校の混合チームで調理をします。
1班 フィナンシェ(埼玉チーム)、2班 クッキー(埼玉チーム)、3班 龍眼羊羹(荘敬高校)、4班 米豆羊羹(荘敬高校)
  


調理終了後、出来上がった4品を全員で試食しました。生徒たちは調理の間にすっかり打ち解けて楽しそうでした。
各自が評価票に記入し値段を決めます。一番評価が高かったのはクッキー(なっつんごー)でした。
 

ホテルへの帰路で市場調査を行いました。台北に店舗数が多いチェーン店を見学し、物価や売られているものを調査します。
夕食は、寒い時期に台湾で人気の石鍋料理を食べ、とても温まりました。
夕食後、ミーティングを行いました。大宮商業高校を中心に評価票の集計をし、明日販売する商品の価格を決定しました。
坂本指導主事による経済についてのお話のあと、全員が明日の意気込みを発表しました。
本校生徒は、「今日の調理会ではあまりうまくコミュニケーションが取れなかった。ジェスチャーだけでは限界があることに気づいたので、明日はもっと英語や中国語で会話し伝えます」と発表していました。
  

台湾研修2日目

12月16日(水)、荘敬高級工業家事職業学校を訪問しました。

歓迎式では、荘敬高級工業家事職業高校から校長先生、埼玉県教育員会から団長の安部主幹よりご挨拶がありました。
その後、お互いの記念品交換をしました。荘敬高校からガラス製の楯とペナントをいただきました。そして、埼玉県からは感謝状とおせんべいを贈りました。
  
歓迎式後は、お互いの学校紹介、商品開発のプレゼンテーションを行いました。始めに荘敬高校から学校説明をいただきました。
そして埼玉県側から、鴻巣女子高校、杉戸農業高校、川越工業高校、大宮商業高校の順番に今までの取り組みをプレゼンテーションをしました。
4校とも英語や中国語でプレゼンテーションをしました。
 
昼食は、校内のレストランにおいてフルコースをいただきました。
このレストランは、荘敬高校の生徒さんが調理からサービスまで授業の一環で運営しているレストランです。
 

台湾研修1日目報告

12月15日(火)、15時40分に台北の松山空港に到着しました。

ホテルに向かう途中に、持参した商品の値段を検討するため新光三越にて市場調査をしました。
似たような商品を探し、試食、価格調査に余念がありません。
  

台湾に来て初めての食事は四川料理でした。みんなでテーブルを囲み美味しくいただきました。
その後、ミーティングを行い、明日からの研修の目標を一人ずつ発表しました。
「自分のためだけではなく、行かれなかった仲間や川越工業のみんなにこの経験を伝えられるように頑張りたい」と述べていました。
その後、販売するお菓子のパッケージ600個に全員でシールを貼る作業を行いました。
明日は、荘敬高校を訪問し、学校の紹介とプロジェクトの取り組みについてプレゼンテーションを行います。
資料は中国語で発表は英語で行います。「失敗しても良いから堂々とやること」を念頭に置いて部屋に戻ってからも練習しました。
  

台湾へ出発しました

12月15日(火)、4校12名の生徒と引率・指導者7名が羽田空港に集合し、12:40発のNH全日空853便で、台湾に向けて出発し,予定通り無事到着しました。
 

壮行会を行いました

本校デザイン科は、昨年度に引き続き県教育委員会の実践的職業教育グローバル事業の指定を受け、商品開発に取組んでいます。
今年度は、大宮商業高校、鴻巣女子高校、杉戸農業高校と連携し、三州製菓株式会社様の御協力によりクッキーとフィナンシェの商品開発に取組んでいます。
本校生徒は、デザイン科の得意分野を活かして、商品パッケージとポスターを担当しています。
その事業の中で、グローバルな視点を養うことを目的に、台湾に渡航し現地の産業や異文化を学び、台湾の専門高校との意見交換会や、商店での商品販売会を行います。
本日(12月11日)は、壮行会を行いました。引率教員から概要説明を行い、その後、研修に参加するデザイン科2年生の3名からそれぞれ決意表明がありました。
  
平成26年度 海外連携商品開発in台湾

平成26年度 海外連携商品開発

校内報告会を行いました

1月8日(金)、3学期始業式終了後、「海外連携商品開発in台湾」に参加したデザイン科2年生3名による全校生徒への報告会を行いました。
台湾に行った目的、荘敬高級工業家事職業学校の学習内容、商品開発の取組を中心とした交流の様子などを紹介しました。
「物事を伝えようとする意志」「積極的な行動力」「周囲への興味・関心」など、本質的なコミュニケーション能力の必要性を学習したとのことです。
  
  

荘敬高級工業家事職業高校訪問2日目

12月18日(木)、荘敬高級工業家事職業高校に再び訪問しました。
調理科の生徒さんの出迎えから始まり、今度は荘敬高校の生徒さんが考えた料理を試作しました。
日本と台湾の混合で8チームに別れて作業しました。ゼスチャーや単語で協力し合いながら、ゼリーとロールケーキを作りました。

昼食後、それぞれの学校と作品紹介のプレゼンテーションをしました。その後、試作品についての意見交換をしました。
帰国後、これらの意見をもとに改良をしていきます。熱心に意見交換をしたので、時間があっという間に過ぎました。
  
  

3日目文化研修・市場調査を行いました

2月17日(水)、3日目は台北市内を視察しました。
世界四大博物館のひとつ、故宮博物院に研修に行きました。
今年、東京国立博物館にも門外不出の宝物として展示された翠玉白菜をはじめ、様々な秘宝を見学しました。
そのあと、市場を見学しました。日本では見ない野菜や果物を熱心に聞いたり、写真を撮る姿が見られました。
昼食後は、台湾の名産のパイナップルケーキ工場を見学し、各自ケーキを作りました。
ホテルに戻り夕食後、ANA台北支店長の島一範様より「海外で働く日本人」というテーマでご講演をいただきました。
島様より、「真摯に生き、相手を思いやる気持ちが、どこで仕事をする上でも一番大切である」ことを教えていただきました。

講演会終了後は、明日のプレゼンテーションに向けて打ち合わせをして解散しました。

   

荘敬高級工業家事職業学校へ訪問しました

12月16日(火)、2日目は、新北市にある荘敬高級工業家事職業高校を訪問しました。
午前中のオリエンテーションでは、新北市教育局の担当者も参加されての歓迎行事が行われました。
昼食は校内レストランでいただきましたが、調理からサービスまで在校生がしていました。
午後は、商品開発のために日本から持参したレシピをもとに荘敬高級工業家事職業高校の調理科の生徒と各校グループに別れて調理を行いました。
本校と皆野高校で提案した試作品は、台湾の高校生にも好評でした。

  
  

台湾に到着しました

12月15日(月)、12時40分定刻通り羽田空港を出発し、現地時刻15時20分に台北松山空港に到着しました。
夕食後、夜8時よりミーティングを行いました。参加者一人一人があらためて研修の目的を発表しました。
  

海外連携商品開発in台湾

県教育委員会の実践的職業教育グローバル事業では、県内の4校の専門高校が協力して、台湾の専門高校と連携した商品開発に取り組んでいます。
本校デザイン科2年生は県立皆野高校と協力して、商品開発に取り組んています。
開発した商品について台湾の荘敬高級工業家事職業学校と意見交換を行うため、埼玉県内の専門高校生15人が台湾を訪れています。本校からもデザイン科2年生3名が参加しています。
日程は、12月15日(月)から12月19日(金)の予定です。写真は、12月2日に行われた事前研修会の様子です。
 
留学報告日誌

当麻曙音君 ドイツ留学報告

第八話  習うより慣れろ(後)

がちゃ、きーー…とその扉が開かれた。
するとそこに広がっていたのは20数名の生徒と一人教師らしき人が前に立っていた。授業中?いや、でもそんな気配が微塵も感じれない。休み時間なのか…すると皆が好奇の眼差しでそれを見た。
「誰だあいつ?お前知ってるか?」「知らなーい。留学生かな?」「日本人、韓国人それとも中国人?」「アジアの文化に興味があるな話してみようかそれとも…」
いろんな言葉が僕の目の前で飛び交った。するとそれを遮るかのようにある男が大きい声で喋り始めた。「君が今日から来る留学生かい?私の名前はP
lättner このクラス11.c担任兼数学教師だ。よろしくな!
おおい、皆に言う。今日からこのクラスに新しい仲間が加わった。彼は日本から来た17才だ。君たちは優しいということは勿論私も知っている。だから彼の面倒やクラス、学校そしてドイツに慣れるまでしっかりと支えてくれるよね。」
「そう、もちろんだ!俺たちのクラスは学校一出来てるメンバーの集まりだからな。」
「おいおい、そう言ってるお前のこの前のテストの結果はいったいどういうことなんだ笑?」
「それを言うなよ!人情は厚いだろう?」
「そうだな。確かに。」
っと、数秒間の間にこれほどのドイツ語が飛び交った。勿論僕は…
「…………おいおい、今なんて言った。今まではカリキュラム上大人としか話してきてなくてそれをなんとか理解してたけど、子供のドイツ語はまるで別の言語のように違うな。日本に来る留学生もひょっとしてこんなことを思うのかもしれない。つまりは若者言葉か…。先が思いやられるぜ。」
こんな心境だったと思う。「こんなこと習えることもない、つまりは実践で慣れていくしかないってことだな。」
身振り手振りで誘導されるようにいつそこに、なぜそこに決まったのか分からない窓側前から2列目右寄りの椅子に腰かけた。おもむろにノートとペン。あと最高の笑顔を持ち出した。まず隣の子からがスタートだ。
「僕はShoon日本から来た。よろしくな!まだドイツ語は良く喋れないし上手く理解出来るか分からない。」
「もう、それだけ話せられればまずまずいいんじゃない?」
そういったのはさっき学校一だの人情だのを言っていた威勢の良い同い年の少年だ。すると周りから色々な質問が飛び交ったまるでハリウッドスターの映画公開記念の記者会見のように。
なんとかして自己紹介と日本から持って来ていたお菓子(コアラのマーチやハイチュウ)で釣る作戦が功を奏し多くの子が僕に興味を示してくれた。
ついでに配った人に名前を聞きそれを覚えることで、早速友達作りのためのきっかけを集めていった。何事も出だしのダッシュが大事。そう覚悟を決めていた。結局その日はずっと野球のヒーローインタビューのようにスポットライトを浴び続け長くも短い学校初日が終わった。
激しい戦争を戦い抜いたその体はもう家に再び着いた時には立ってるのがやっとの程疲れ果てていた。「Ich bin wieder da.」
「Hallo.wie war die Schule?」「Entschuldigung, was hast du gesagt?」
「Wie war die Schule? 学校はどうだった?」
「Sehr gut. Mir hat Deutschland gefallen.(すごく良かった。ドイツ気に入ったよ。)」そんなやり取りをホストファミリーである二人のママとした。
その後あの不朽の名作?「ゴジラ」をドイツ語で鑑賞した後三人分の夕食を手伝いながら、会話も途絶えながらもなんとかして、「日に日に上達してるよこれからも頑張っていこう!」と褒められ幸せを感じた一日となった。9時完全消灯のこの家のルールはまるで小学生時代を彷彿とさせる年の割の早寝でその一日のエンディングを迎える。さらに疲れ果てた体もそれに即答するかのごとく眠りを欲しがった。
「何とか今日を乗り越えた。大事な一日だった。その結果は悪くはないものだと思う。でも、明日はまた来る。大丈夫か。この身体は最後まで持ちこたえられるのか?まだ、ホストとホスト同士の会話は点で理解できていない。まだまだやれるべきことは沢山あるな。なんかこれからが楽しみに思えてきたな。」と自問自答や自分への評価を下し、僕は目の上をゆっくり薄い膜で覆った。しかし、この時はまだ誰も明日僕の身に降りかかってくる現実を知る由もなかった。

いよいよ本格的にThe 留学がスタートした。初日は楽しく乗り切ったが、二日目に待っていたのは幻ではなく現実だった。果たしてどうなる?!

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第七話  習うより慣れよ(前)

僕のドイツ留学
日本に居た時と変わらず六時半に起床した僕は身支度を手短に済ませ、朝食(トースト一枚分)を作り、お昼ご飯(中身はハムを挟んだパンとチョコ二つ)をランチパックに入れ前日にホストから貰った合鍵をポケットに入れ、生きていくために必要な紙の独和辞典とさっき出来たランチパックをリュックに入れたことを確認し朝のドイツの町をここまで見ることは初めてだと思いつつ、日本で見た衛星写真の家から学校までの道のりを第三角法で例えるならば立体図に頭の中で変換し学校へと歩を進めた。ここドイツで僕が生きていくんだと自分自身に言い聞かせながら。
ところで僕がこれから通うことになる学校「Friedrich Gymnasium-Luckenwalde」とはBrandenburgにある、ある地域の人口2万人程度の町にあるGymnasiumという学校である。ドイツでは通常日本で言う小学4年生までのGrundschuleを卒業後、小五年生以降(~約高校3年)の中等教育を行うために3つの種類の内1つの学校に通う。それはHauptschule,Realschule und Gymnasium でなぜか一番レベルの高いはずのGymnasiumに行くことになっていたことに対する動揺はいささか大きかったことも否めない。少し脱線すると、この中等教育を卒業した証である「Abitur」を取得後大学に行くのが一般的である。
校門の写真



何とか出来そこないの脳内ナビで学校へと約十分の時間で到着することに成功する。物事の始まりに於いての成功ほど重要なファクターは無いと思っている僕にとっては幸先の良いスタートとなった。しかし学校に着いたは良いが、日本のような校門もなければ無論、校門指導をする先生などいるわけがないドイツでは「次」の行動に迷うものである。まずどこに行けばいい。そうだ、工業祭へ行こう。 ではなく、そうだ、校長室に行けば何か分かるかもしれない思った当時の僕は何の躊躇いもなく馬鹿でかい木製のドアを開け、まるで美術館のような大きい箱へと入っていった。そして、入って間もなくとても大きな衝撃が僕を襲う。
目の前に壁が(約2メートルもの人)君臨していたのである。咄嗟に出たすみませんの一言に反応したのは運がいいのか意外にもその学校の校長先生だったのである。

 「ひょっとして君は今日から来てる留学生かい?」今でこそ余裕で訳せるが当時の僕では「……君…今日…留学生?」くらいしか理解できない。「あーなんか言ってる、でも全然分からん。どうしよう…」それでも必死に口の筋肉を動かした「Ja」の一言はその後の運命に関わるとても大きな一言であったに違いない。
言われるがままに後をついて、たどり着いた教頭のいる部屋で時間割、クラス、選択科目等を決めることになった。
その時の会話が
校長「ようこそ、ドイツへそして私たちの学校へ!」
僕「おー嬉しい!有難う御座います。」
校長「じゃあ、あとは教頭宜しく!」
教頭、僕「…!?」
教頭、僕「……………」長い沈黙の後
教頭のじゃあ改めて決めていきますよの一言から再開した。
教頭「まず、きみは…来たの?あと、……?
僕「すみませんが、もう少しゆっくりでお願いします」
教頭「あら、いやだごめんなさい。私全然気を遣えなくて。まず、きみは何処から来たの?あと、何歳?
僕「日本から来ましたそして17才です」
教頭「日本から?去年も日本から来ていた女の子がいたわその子はもう日本についこの前帰っちゃったのよ。」
僕「へぇーそうなんですか。驚きました。」
実をいうと、この時は知らなかったが後日同じ日本の留学機関でドイツに行ったことが判明し、なんと同じ埼玉県から来たことも分かり、さらに、僕の知り合いだったことにはとても驚いた。おかげで世界は広いのか狭いのか余計分からなくなった。
教頭「17才だったかしらなら、11.Klasse(高2)ね」
僕「ん?!」
ここであることを思い出した。Heppenheimでの研修中にコーディネーターにあることを言われたことを思いだした。「ドイツのGymnasiumの11.Klasseからは日本のようなクラスメート常に一緒に行動することがなくなり選択科目が増えるのよ。だからドイツの暮らしに慣れるまではいくら高校2年生でも10.Klasse(高1)のクラスに入った方がいいわ。」
僕「あの…」
教頭「じゃあ11.Klasseなら必修科目は数学、ドイツ語、英語に…」
僕「あの…すみません」
教頭「どうしたの?」
僕「11.Klasseではなく、10.Klasseの方がいいです。」
この時本当はそのコーディネーターとの会話を説明出来れば難なく変更できただろうが何度も言うがその当時のドイツ語力では伝えることが出来ない。必死に辞書も使い説明を試みたが失敗に終わる。
教頭「なんか言いたいんだろうけど11.Klasseね。」
僕「んー勉強しよう。」
結局のところこれが良いきっかけになったのかもしれない。
教頭「選択科目は何がいい?」
僕「何があるんですか?」
そうすると机にあったメモ用紙に教科名を書いてくれた。聞いてもその単語が分からない場合このやり方が非常にありがたい。何故なら辞書で調べられるからだ。
僕「しかしよく見るとこれ分かる教科もあるな!Musik これは音楽 Informatik 情報だ!辞書なしで分かりそうだな…Chemie 化学 Biologie 生物 Physik 物理 Sport 体育 Wirtschaft? französisch? いや分からないのもあるな…んー経済、フランス語か。」
これだけ辞書を引いてたらいつかその単語は何ページにあるのか覚えられそうだなと心の中で言いながら、何とか時間割を決めた。詳しい時間割は「第一話 旅立ち」をご参照あれ
教頭「月曜日から水曜日…8時間、木曜日と金曜日は6時間で木曜日の3~4時間目は授業なしだから校内探検や家に帰って寝てても宿題しても自由よ!」
僕「え!そんなこともいいんですか?」
教頭「これはごく一般的よ。日本は出来ないの?」
僕「基本的にはそういうことが出来るのは大学からですね。できる高校もありますけど、少ないです。」
教頭「あら、それは残念ね。日本は平均的に大学まで勉強し、大学からより専門、自身のやりたいことを学べるのね?ドイツではそれは10.Klasse(高1)まで11.Klasseからは自信のやりたいことを学べるから少し日本よりもその道に長けていることになるわね。でもそのちょっとの差が将来の可能性を大きく変えるものなのよ。」
正直半分も理解できてなかったな…でもなんか大事なことを言っていたんだろう…と心の中で呟き、僕「分かりましたこれからが楽しみです。それに日本の僕の通っている学校には音楽が選択科目になく、ずっとやりたいと思っていたのですがやっと高校でドイツで出来るのは嬉しいです。」
教頭「え?音楽ないの?残念だわ。それではここで大きく飛躍することを願っていますよ」
僕「Danke schön!」
教頭「それでは教室へとご案内します多分今は数学をやっているはずよ。あなたも最初から分かりそうな教科で幸いね!」
僕「数学ですか。分かりました。行きましょう。」
歩きながら何とか理解できたドイツ語の量と緊張は確かにしたが片言会話ができた事に密かに喜んでいた僕は高いモチベーションで教室へと移動する。数秒後当時の周りのありとあらゆるものが新しく見える僕からすると一瞬で着いた教室前のドア。ここだけかもしれないが、廊下から教室を見ることが出来るようなものつまりは窓はなく壁に覆われている。よって中の様子が全然分からない!!!
教頭「ここまで一緒に来たけれどここで君とはお別れよ。さあ、そのドアが君の未来を占う第一歩よ!自ら開け進み続けなさい!」まるで国民的RPGのワンシーンかのようなセリフを言った教頭先生に感謝を言い、僕はそのドアを開けた。その遥か無限大の可能性を信じて…
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第六話  嚆矢濫觴

僕のドイツ留学

まず、ここまで更新が遅れてしまったことを、深くお詫び申し上げます。申し訳ございません。
Hallo zusammen,

 3年生の皆さん、ご卒業おめでとう御座います。遂にみんな行ってしまった..
 ホストファミリーの下に来てから2日目である日曜日。この日は町全体を僕のホストファミリーと兎に角歩き回った。
翌日から通うことになる学校、その向かいにある動物園、この町の住民の生活を支えるスーパーマーケット、もう何もかもが僕には新しかった。
ふと、町を歩いていて僕が気付いたことがある。それは、無限に広がる青色に沢山の飛行機雲が散りばめられているということだ。そうここはヨーロッパ。ましてはフランクフルト国際空港を持っているドイツでは常時、モノが動き続ける。
またドイツでは日曜は殆どのお店が閉まる法律が存在するため、あらゆるお店が閉店ガラガラ。なのでたいていは土曜の午前中に食材調達を行う。

もう二日もホストと一緒に住んでいると生活パターンは読めてくる。
どうやらこの二人のお母さんの生活は実に興味深い。
ちゃんと男と女が存在しお互いの生活を支え合っている。心なしか「僕が今ここに居て良いのかな…」と思わざるを得ないシーンが多い。「いや、今までに経験したことのないことだからだ」と僕は勝手に解釈しその場をしのぐことに成功する。僕にはまだ色々な経験値が不足している。新たな自分に出会うためには自ら旅に出るのが最善だと思う。なんてことを呟きつつ、その日の予定であった散歩、スーツケース(2ケース)に積んであった衣服や日本からのお土産を取り出し、箪笥にしまったり、ホストにあげたりした。どんなプレゼントをしたかというと「浴衣」である。当時のドイツ語力では表現することがとても難しくなかなか伝わらないが、なんとか1時間程の時間をかけて教えることに成功した。また、ホストが日本文化に興味があったこともそれを成功させる重要なファクターであっただろう。

すっかり骨だけを残したようなすべての力を出し切った身体はシャワーを浴びた数分後には口を小さく開けた棒になった。

次回は、遂に学校初日。しかし、初日から多くの壁に直面する。どのようにして一筋縄ではいかない障壁をどう越えていったのだろうか。
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第五話 新たな始まり

僕のドイツ留学
Guten Tag! 少し写真がななめです。それほどこの時は緊張していたんでしょう。実際には夜7時頃に到着したのでこれは別の日に撮った写真です。そんなことより、
 遂にHeppenheim から日本ではあり得ないであろう新幹線による確か3回ほどのスイッチバックを経てBerlin Hauptbahnhof (tief)から 乗り換えて当初の予定から1時間遅延で到着。
Luckenwaldeは人口約2万人、面積46.61km²のBrandenburg州内のある市です。駅前にある大きな図書館が特徴です。 
ホストファミリーの家に着き、ホストが僕がこれから11ヶ月間利用することになる専用の部屋まで案内してくれた。まだ僕はドイツ語を流暢に話すこと、理解することができなっかたため、僕を理解させるまでの道のりは極めて険しかったであろう。そわそわしたままそのまま夕食を食べ、なんとか使用方法を理解できた僕はシャワーをして、翌日の土曜日にスーツケース2つに入っているその膨大な量の荷物を出していくことにし、今日にさよならをした。
 
 翌日、緊張からなのか朝六時という休日にしては早い目覚めだった。
二度寝防止のため、僕の体の目覚ましがてら家の隅から隅を見てみようと散策を始めた。
後から思うともしホストが起きていたらこれだけ不審な行動をとられると怖かったであろう。
僕は決して何も取ってはいないがまだ出会って2日目。お互いを信頼しろという方がやっぱり難しい。そんなことおかまいなしな当時の僕はまずここの部屋に何があるんだろうと360°くるりと回った。あったのは本棚、タンス小さい机と椅子そして妙な漢字がプリントされているすけすけなカーテン。壁はコンクリートにペンキが塗ってあるだけで気温が上がらないとやや部屋は冷たい。そうこうしているうちにホストも起き、朝ご飯や掃除など、自分が伝えたいこともうまく出来た。月曜日から僕の学校生活が始まる。それまでホストとどうやってコミュニケーションを取るかを一生懸命考えることそしてその行動に徹しました。

 次回は遂に始まった留学。学校生活が始まりいよいよ本格化していく中いろいろな問題に直面! 僕はどうやってその問題を解決していくのか。
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第四話 研修(後)

僕のドイツ留学


Guten Tag zusammen 
 Frohe Weihnachten! Ich wünsche eine besinnliche Weihnachtszeit!
クリスマスを記念しまして特別にクリスマス仕様に変更しました。Merry Christmas!


さて、舞台はこのクリスマスからまだほど遠かった頃の7月の夏。この頃から僕が見る夢はドイツ語に変わっていった。ドイツに到着した直後から存在した超弩級な不安感はいつしか消えていた。
朝7時半になんとなく起き、朝食を食べにこの研修で行動を共にするブラジルから来ている同じ17才のガブリエルと一緒にたわいもない会話をしながら階段を降りるのは日課だ。 「Morgen」(おはよう)と大きな声がこだまする。「Na,Shoon. Hast du gut geschlafen?」(よく寝れた?)ポルトガル訛りを感じさせない綺麗なドイツ語だ。 「Ja. Ich hatte heute Nacht einen seltsamen Traum also, Meine Freunde von Japan sprachen Deutsch im Traum.」(ああよく寝れたよ。今朝は日本の友達がドイツ語で話してた奇妙な夢を見たよ。) まだまだ日本語訛りだな、合ってるのかなと心の中で呟きながらまだその波に慣れてない口が必死に音を発する。
そうこうしてるうちにあることを思い出した。そう、実力テストだ。何を学んだっけ、そうぶつぶつ呟きながらノートと冊子を見てやったことを思い出していた。
今では朝食は食事よりも、自分の口をドイツ語が発しやすい形にするための練習のようなものになっている。そして9時から午前授業が始まった。7日目の今日はクイズ形式でその人が今持っているドイツ語の語彙力がどれだけあるのかテストをした。出題者はドイツの受入団体のロシア、ウズベキスタンから来ている美女な女子大生2人。後者は日本にも留学した経験があり、日本語特に、関西弁が得意である。彼女がたまに喋る日本語を聞くと少し面白い。このクイズは出題者から名前が書かれた小さなメモ用紙を渡され、渡された人(1人)がその書かれた人を演じて他の留学生にその名前を当ててもらう当時にとってはやや難しいゲームである。解答者は質問権があり、それをした後に予想した名前を答えてもらうのだ。いきなり僕から始まった。「Shoon, das ist deine Aufgabe.Du musst einfach die Person darstellen.」(ショーン、これが君の課題よ。簡単に特徴を演じた方が分かりやすいわよ。)
「Alles klar!」(オッケー) そう言ってめくったそこに書かれていた名前はなんとジャッキーチェン。「Was? Jac...」(何?じゃっ...)ぎりぎり周りには聞こえなかったが危うく声が聞こえそうだった。
 なんとか演じ見事に正解された時にはほっと、胸をなでおろしていた。それからは楽しく有意義な時間が流れた。そして時はてっぺんに。「Es kommt Mittagessen!」(昼食よ!)その日の昼食はWurst(ソーセージ)やBrot(パン)、Gem
üse(野菜)usw.(などなど)。ドイツ料理は本当に旨い。楽しいひとときも過ぎ、午後の授業が始まった。
 午後は待ちに待ったテストよ!みんな楽しみにしててね!と気楽に先生から発せられた。
「誰も待ってなんかいないぜ先生。」もちろんそんな嘆きは当の本人には聞こえない。
そんなことをずっと言って逃避している暇はない。早速早めに食事を切り上げて朝やったことの再確認をし、テストに備える。
 
 そしてテストが始まった。人称変化や翻訳、質問を答える問題に大きく分かれている。それはドイツの特徴であったんだろう今ではそう思える。記号で答える問題はなく、全部記述式だ。
そのテストを僕とても難しいものと予想していたが、意外と日々努力していたら答えられる問題ばかりで、こんなんでいいのかとまで思ってしまっていた。テストは無事終わりみんな答えが気になるのか他の留学生たちに「どうだったー?」という会話をしているのが分かった。
その後はみんな大好きな息抜きの時間である。湖に行った。帰り道、ふとしたところにピザ屋を見つけ直径28cmあるサラミピザ飲み物付を僕は5€で買った。また宿泊施設は山の頂上にあるため車が望ましいがその日は徒歩であった。まあいい。食べ物がある。そう言い聞かせ悲鳴をあげている足に鞭をいれながら約2km程の道を登って行った。
何も変わらず平凡な毎日が過ぎる。翌朝。
 もう7時半にセットされた目覚ましは見慣れたもの。日本時間では今は何時だろう?という計算ももう必要なく答えが出る。それもそのはず、もうドイツに来て1週間が経っていたのだ。
その日はとても珍しい一日となった。嵐が来たのだった。それにより室内で過ごす唯一の日となったのだ。テスト返し。嵐なんか関係ないとまで言いそうなその存在感。7人中2位だった。ドイツ語を習って来ていた奴等を抜かせたという喜ばしい気持ちとあと一人、という悔しい気持ちとが入り乱れる結果になった。またまだまだだなと思わせる自分の解答の仕方にイラついたりと、とても忙しい。その後は人狼というゲームをしたり、それぞれの国の文化を紹介し合ったりして時間をつぶした。それがきっかけでそれぞれの国を紹介するプレゼンをすることが決まり、一緒に日本から来た女の子2人と相談を始めた。
 決まったことは、日本の着物を着てプレゼンをすること。日本の学校について、日本という国について紹介してドイツとの違いはどういうところにあるのかという意見を3人が別々に言い、最後になぜか僕の弓道の射法八節を披露しTeam日本のプレゼンとすることになった。
その着物が後であんなことになるとは、その時は誰もそのことを知るよしなどなかった。日本語話せる大学生という秘密兵器に少し助けをもらい他のブラジル、タイ、メキシコ組よりも先に準備が終わった。

 翌日。地図を使い目的地まで案内する授業をした。それが僕にまだドイツ語力が十分に備わってないということを標してくれたとても大切な授業であった。まだ文脈をはっきりと理解しきれていなかったのだ。「壁にぶつかれたぜ。」嬉しかった。もちろん負けず嫌いな性格な人には打ってつけの起爆剤となりその後のそれらに対する思いや姿勢が変わったことのきっかけになった。もしこれがなかったらと思うと、その後一人でやりくりできていたかどうなっていたかは分からない。 結局その日のうちにその問題は解決でき、安堵の表情が隠せない。
午後にはドイツ版すごろくやランニングをし(前者は2位、後者は1位だった)一日が終わった。
 Morgen. 気付けばもう7月31日。この日は8月3日から(1人は前日に)それぞれのホームステイ先に移動するための《出発》を見た。そもそもブラジルから来たその子と二人だけでICEに乗せようとしている団体にも驚いたが、5時間も新幹線に乗るんだ!というオドロキもそれに負けず劣らずあった。
そしてあっという間に8月に入り、F1ドライバーである
Sebastian Vettelの故郷、Heppenheim全体を使った町ゲームをし、いよいよ出発なんだなと感じさせるような内容へと変わっていた。
 2日。いよいよプレゼン。
浴衣を着たんだよね。そうそれもなぜか、、、女物の。そしてそれがとあるSNSにアップロードされていてその写真を見た日本にいる仲間が混乱していたことなど知らなかった。今でも恥ずかしいよ。と心の中で叫ぶ。そんなかとはさておき、プレゼン自体は大成功。ほかの国のも面白くてついつい大笑をしてしまったな。
人は楽しいと時間を忘れる。ダンスしたり、歌を歌ったり、たわいもない会話が一番幸せ。こんな日がずっと続けばいいのに。そう思ってた。でも、人生はそんなことばかりじゃない、その分辛いこと、悲しいことがある。
そう、『仲間の旅立ちである』 でもそれを繋げて残せることも今ではできる。写真を撮り再会を誓いながらお別れ会をする。Auf Wiedersehen! Ich tue mein Bestes.




 さあ今回はここまで。未だかつてない長さになってしまいましたこと申し訳ございません。そして最後まで短な休み時間の合間熟読して下さった方々ありがとうございました。
長いようで短かった研修in Heppenheimも終わり、遂に次回は新たな始まり、それぞれの場所に行き新たな生活基盤がスタートした小さいしかし重要な一歩をテーマに書く予定です。宜しくお願いします。

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第三話 研修(中) 続

4日目
 研修も4日目ともなると英語でのコミュニケーションよりドイツ語の方が楽になってくる。僕が授業やご飯の時に発言するとみんなが笑ってくれる。ドイツ語が合っていても間違っていても、もうどうでもいい。嬉しい。でも、こんなんで本当にいいのかな?と思うようになっていました。
この日は日本で全くドイツ語を学ばずにしては、これでもか、と自分自身が驚くほどよくできた日だったと思っています。しかし少し上達はしてもまだまだ。ついていくのがやっと、という感じでした。なので「少しでも多く勉強を。」とこっそり勉強していました。
 さてこの日に習ったことは「時計の読み方とそれのリスニング」です。ドイツでは少し変わった読み方をする場合があるのです。
Es ist 7 Uhr. 7時です。
Es ist 8 Uhr. 8時です。それでは7時半はというと
Es ist halb 8. か Es ist 7:30 Uhr.しかも読み方は7 Uhr 30 的に読みます...例えば、列車は18時24分に出る。と言いたい場合、Der Zug fährt um 18:24 Uhr.(achtzehn Uhr vierundzwanzig)と4(vier)を20(zwanzig)の前に言うという、なんとも日本人とっては考え方の難しい言い方をします。
他にも Es ist kurz vor 11.(11時ちょっと前) やdrei viertel acht(7時45分)などレベルの上がった上級編も存在します。当時はまだその存在を知らなかった。とにかく必要なのは「慣れ」です。 
5日目
 Ich bin nach Frankreich zum ersten Mai in meinem Leben gefahren. 生まれて初めてFranceに遊びに行きました。そこはStraßburgで、フランスで初となるマクドナルドとフレンチ料理を堪能しました。Bon appetit!(どうぞ召し上がれ)という意味のあるこの文。どうもドイツ語の Guten Appetit! に似ていて面白いなと思った。フランス語でオーダーした時はとても緊張したなー...今回はここまで。次回は研修(後)をお送り致します。長々としたものになってしまいましたが最後まで読んで下さり、ありがとうございました。その川を越えるとそこはもうFrance。パスポートは要らない。
あれはTGVだ...




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第三話 研修(中)

僕のドイツ留学
Guten Tag!
寒気厳しき折柄 慌ただしい師走となり、何かとご多用のことと存じます。
Hier bei uns ist jetzt erst einmal der Winter eingebrochen.
Ich wünsche Ihnen ein gesegnetes Weihnachtsfest und gesundes und 
glückliches neues Jahr!
2014年12月22日は朔旦冬至でしたね。朔旦冬至の「朔」は「新月」、「旦」は「日の出」を意味します。

さて、研修では以下のようにドイツ語を学んでいました。
 初日
  自己紹介による、簡単なドイツ語を話しながら、文法を学ぶ。
   (例)
     Ich bin Japaner. 私は日本人です。
               Du bist Deutsche. 君はドイツ人(女性)です。
               Er/Sie/Es ist... (彼/彼女/形式主語や‟それ”などを表す)彼/彼女は...です。
               Wir sind... 私達は...です。
               Ihr seid...あなたたちは...です。
               Sie sind...(Duの敬称)あなたは...です。
実際はまだ別の意味を持ちますが、今回はまだ研修中でのことなので省かせていただきます。
 2日目
  疑問文を使って実際に他の研修生や先生、町に行きお店で質問し、お題に書かれたものを買ってくる等を行いました。いきなりレベルが上がったような気がしました。
   Wie 
spät ist es jetzt? 今何時ですか?
   Was kostet das? これはいくらですか?
   Gibt es hier...? ここに...はありますか?
 3日目
  ~が欲しい。という文を覚え、Heidelberg という都市に行ってきました。
   例えば Ich 
möchte etwas essen.  何か食べたい。
                   Ich hätte gern eine Apfelschorle. Apfelschorle(リンゴの飲み物)が欲しい。
ハイデルベルクは、ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する都市。城跡や、ドイツで最も古い大学がある。人口140,000人強。因みに、ドイツでは人口10万人以上の都市は大都市となる。もし、これを日本に当てはめたらどれだけの市が大都市になるのやら...
っとページもなくなってきたので続きを書きます。
ドイツの車窓から..




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第二話 到着

僕のドイツ留学

皆様こんにちは。お久しぶりです。無事に中間テストと第63回工業祭「作ってどっこい工業祭」が終了いたしました。2日間で3,526名の方々にご来場いただきました。誠に有難うございました。

さて、今回は「遂にドイツに到着」 をテーマにその後に行われたHeppenheimでの研修()をお送りいたします。



ヨーロッパでは、二番目または三番目に大きい空港で世界における国際線の主要なハブ空港のひとつであるフランクフルト国際空港に2013年7月21日の午後にLufthansaで到着した。ドイツに僕が降り立ち、開口一番発した言葉は、、、
「暑い。」

この一言だった。しかし幸いなことにドイツは日本のような《蒸し暑い》ではない。湿度が高くない単に暑いだけの気候である。それと同時に「僕はとんでもない所に降り立ってしまったな。」とも思った。

Herzlich Willkommen!


 その後、無事に荷物と度胸と共に現地受入れ団体と他の国から来た留学生と顔を合わせた。車に揺られること
1時間。着いた場所は丘の上にある古いお城じみた宿泊施設だった。そこでどうやら研修を行うらしい。僕は荷物を車から降ろし、出迎えてくれた人に挨拶をする。 “Guten Tag!” その時緊張していた僕からこの言葉が発せられたことはほぼ奇跡と言っても過言ではないだろう。
そして荷物をブラジルから来た留学生ガブリエルと自分が使う部屋5階へ運ぶ。螺旋階段が立ちはだかる。もう、言葉は出ない。「・・・・・。」
その後6時にドイツで初めてとなる夕食をその研修仲間と共にし最初で最後となる英語での夕食時間となった。そして足早にみなご飯を食べ終わり部屋へと帰って行った。
僕は日記を綴った。お風呂、歯磨き等を済まし一度絶望の淵に立った後、眠りに入ったのもそう時間は掛からなかった。
明けて翌日。

Guten Morgen!

Starkenburg

722日、その日から研修スタート。前日までの疲れはなく、体調も良い。
ここStarkenburgは研修をする施設の名前。

 6:30 
起床
8:10朝食 
9:00~12:00(10分㊡)
午前授業
12:00~13:00昼食 
13:00~14:30 
午後授業
14:30~18:00自由時間
18:00~19:00夕食
19:00~自由時間
22:30就寝 

14時30分からの時間は出かけたり、人話したり、

町に行って買い物をするなど、日替わりで決まる。

初日に気が滅入った事もあり、この日から「どうにかしてやる」という熱意が

僕の心の中で静かに激しく溢れていた。

 まず1つの冊子をもらった。この冊子でドイツ語の勉強をする。

先生の自己紹介からそれは始まった。今回一緒に勉強する仲間は7人です。

こんなことを言っていたような気がする。

僕はこの留学プログラムの中で第一グループに入っていた。日本から3人、

タイから1人、メキシコから2人そしてブラジルから1人。みな高校生だ。

一人ずつ軽く自己紹介をした。幸運にも緊張はしたが

それほど困らずに成し遂げることが出来た。日本での準備が功を奏した結果だろう。

しかしその時から日本勢は少しずつ劣勢に立たされていったのであった。

 

今回はここまでです。


 遂に始まった研修。そのまま順調に行くかと思ったがしかしそこには多くの壁が立ちはだかっていた。

次回は「研修(中)」をテーマにそこで習ったドイツ語もまじえてお送りする予定です。ぜひ、第三話もご覧ください。   

                          当麻曙音
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第一話 旅立ち

僕のドイツ留学

 2013721日から201471日までの約1年間ドイツのブランデンブルク州に留学していました出発時、僕は機械科の二学年に在籍していました。また、この留学には「埼玉発世界行き」奨学金支給制度を利用させて頂きました。

 なぜ僕がドイツを選んだかというと、僕の将来の夢はレーシングドライバーで、

レースの世界ではドイツ出身の優秀なメカニック、エンジニアやレーシングドライバーが多く、将来僕はその人達と一緒に仕事をしたいです。即ち、この留学の主な目的は、ドイツ語の習得、コミュニケーション能力の向上や車を速く走らせるための技術や知識の習得。又、ドイツのものづくり精神や環境を見てみたかったのでドイツを選びました。



ブランデンブルク州Land Brandenburg)は、ドイツ16ある連邦州のひとつで、州都はポツダムです19934月、ブランデンブルク州の大臣の埼玉県の訪問を契機として交流が始まり、19998月、姉妹提携締結に至りました。また、首都ベルリンを取り囲むように位置し、森と湖に恵まれた自然の豊かな州。旧東ドイツに属し、壮大な庭園を持つフリードリヒ2世の離宮、サンスーシ宮殿は観光客に人気。昭和20年8月、第二次世界大戦の終結を求めた「ポツダム宣言」が発せられた地として有名です。


学校紹介
 

僕が通っていた学校名は「Friedrich-Gymnasium」です。

 

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化学

 


 


毎回詳しく内容を掘り下げていく、シリーズをお送りしていきたいと思っています。時間を見つけて、更新していく予定でいますが、更新が不定期になることもあると思います。その際は何卒ご理解の方を賜りたいと存じます。
今回はここまでです。

                                                                          当麻 曙音


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